豊田家-左官職としての系譜

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私たちは、1607年以前から京都で左官に携わる仕事をしています。

2019年1月現在、兄、弟、私、従兄の4名が先祖の心を引き継いで活動をしています。何代目なのかは今はもうわかりませんが、織田信長の末裔とされる織田信成さんが17代目ということもあり、同じぐらいなのかと思っています。

私達の先祖は、伏見城建設にも関係したと伝承されています。

伏見にあるお墓は、土地が盛切りされず、当時から変わらずその場所にあるとお寺の住職から聞きました。

代々使用している屋号の家紋

これは、豊田家で使っている左官屋号の家紋です。半纏の衿字(えりじ)に使っていることが写真から把握できています。

この家紋だけは、絶対に引き継いでほしいと父から託されました。

3つの輪と向き、丸身、カーブが、徳川家の家紋となんとなく似ているため、なにかしら徳川家と関係があったのかと思っています。(豊田保之予想)

旧豊田家文書

1981年12月24日に発行された、

「ものと人間の文化史 45・壁」 山田幸一著 法政大学出版局

に、「旧豊田家文書」として、豊田家の系譜が紹介されています。

旧豊田家文書01

表紙です。現在も、古書として、AMAZONで購入できます。

旧豊田家文書02

最初のカラー刷りに「旧豊田家文書」が掲載されています。

古文書は、原本ですので、左官関係書としては、日本最古とも言われるとても貴重な資料です。

旧豊田家文書03

左官職人の名前と出身地が記載されています。

旧豊田家文書04

最初と最後に、三右衛門の名が記載されていたため、三右衛門が、豊田家にゆかりのある人物であった可能性が高いようです。

旧豊田家文書05

P219から古文書の解説がされています。

旧豊田家文書06

2007年7月に、系譜の信憑性について父に確認しました。

数十年前に身の回りのものを整理していたところ、仏壇の奥から本尊と古文書が見つかったそうです。そこには、1607年以前から左官職として携わっていたということが書かれていたとのこと。現在、本尊は、亡くなった伯父宅で保管しており、古文書は、京都左官組合に寄贈しています。
(本尊も京都左官組合に寄贈しようとしたところ、心がこもっているので、これは預かれないと断られたようです。)

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現在、本家の豊田の名前を継ぎ左官職人をしているのは、実は私の家族だけです。
京都の左官職人である佐藤嘉一郎氏が書かれた「京都左官仲ケ間組について」という書類にも豊田家の系譜について書かれています。

2012年に92歳になった佐藤嘉一郎氏から、
「あんたんとこも、もう10年早かったら色々文献でてきたのに、残念やな~。」
と、お言葉を頂きました。

現代の家は、土壁がクロスに、外壁の塗り仕上げもサイディングに変わり、左官職の仕事はどんどん減っています。

京都で代々続く左官職人の家に生まれた経歴から、土壁や漆喰など左官職を生かした家づくりを継続し後世に伝えていくことが、私たちに与えられた使命だと感じています。

 
2019年01月13日 WP5.0対応、一部文言修正
2016年03月17日 「ものと人間の文化史 45・壁」山田幸一著 法政大学出版局 追記
2014年3月6日 追記
2013年4月24日 記